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加瀬俊一 (1920年入省) : ウィキペディア日本語版 | 加瀬俊一 (1920年入省)[かせ しゅんいち]
加瀬 俊一(かせ しゅんいち、1897年10月23日 - 1956年9月9日)は、日本の外交官。太平洋戦争終戦当時の駐スイス公使で、戦後西ドイツ大使を務める。外務大臣秘書官や国連大使を務めた加瀬俊一(としかず、加瀬英明の父)とは同姓同名の別人である。外務省内では彼と区別するため「大加瀬」と俗称されていた〔竹内、2005年、p16〕。 == 来歴・人物 == 東京生まれ。早稲田中学校、第一高等学校から東京帝国大学に進むが、大学在学中の1920年に高等文官試験外交科試験に合格したために、大学を中退して外務省に入省する。外務省同期に阪本瑞男、鹿島守之助など。1935年に欧亜局第一課長、1938年に駐アメリカ大使館の一等書記官となる。太平洋戦争開始後の1942年にイタリア公使となり、1944年には中立国であったスイス公使となった。1945年8月、日本政府がポツダム宣言受諾を決めると、中立国公使であった加瀬は外交ルートにより宣言受諾の正式な通知を連合国代表に対しておこなった。 戦後、1952年にメキシコ大使、翌年には西ドイツ大使を歴任したが、西ドイツで体調を崩して一時帰任する。日本で療養に努めたが1956年に病没した
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